頑張ることと、頑張らなくていいこと
今の会社に入り、1年以上が経過しました。まず、当面は前の会社でやってきた「2年」を一区切りにするつもりで取り組んでいます。
残業もほとんどしなく、自分と向き合う時間を作るようにしてきました。
自分が得意なこと(もうこの年齢になると「強み」といえないといけない)、自分が頑張れること、頑張れないこと。少しずつ考えてきました。そして強みでないことはあきらめるということも必要。と思えるようになってきました。
果たして、自分は強くないといけないの?
いつも自分に問いかけるのはこれです。
まあ、強いというのはいろんな意味です。語気、精神力、仕事を進める力、交渉力・・・これはこれまでの自分の経験が大きくかかわってきて、叱られる回数が多いとか、強い語気で言いくるめられてしまう、などの経験をしている私はとても怖くて自分の地を出すことができません。そしてそれは、必ず怒りとなってしまう傾向を分かっています。
だけど、自分は承認欲求が強いこともわかっています。「誰かに、自分の思いや存在を認めてほしい」そんな気持ちが強くあります。
ここ数日で、そういう強さがある人は、そういう担当の人として任せたらいい。と思うようになってきました。
なぜなら、もし、そういう人と「強い私」が話したらきっとぶつかってしまうから。思いの強い人の話や思いは、誰かが受け止め飲み込まなくてはいけない。ピッチャーはキャッチャーがいるからゲームを進められるのだから。弱い人は強い人のストレスを「うんうん」と受け止める役割。だから弱さの中にも一種の強さがあるはずなんです。そういうふうに考えられる自分を認めて挙げられたらいいなと思うんです。
自分のやってきたことを、どう表現する?
私は、広く浅く仕事をやってきたと思います。
田舎にいるとマルチタスクです。都会ではかなり専門職の募集も多いですが、田舎ではあれもこれもが普通。東京の小規模ベンチャーでない限りは(社長でなく社員の場合は)そうだと思います。
例えば私はウェブマスターのほかに、経理を10年以上やってきましたが、「どの範囲までをやれるのか」ということをプロフィールに明記しています。決算処理は一人でできませんが、その手前のデータ入力などは自分でできます。そういった強みの中の範囲をきちんと書くことで、協力を得られる可能性が高いし、「いろんなことができるんですね」という言葉の中に正確性を与えることができる。そう思っています。
私はこういった内容を、すべてWantedlyのプロフィールの中にまとめています。
現職はまだまだ自分の強みが見えず、仕事がふわっとしているので、詳細には記載していません。しかし、学生時代のアルバイト、前職でのWeb掲載いただいた記事URLなどはすべてまとめてあります。
自分は別に、オンリーワンじゃない
「わたし」という人間は一人だけど、仕事は「私にしかできない」ということは絶対にない。そんなことをしていたら、会社が回らないから。だからこそ、自分の仕事を手放すことを考え、ツールを使ったり、部下に教えたり、同僚に対しマニュアルを作ったりします。
これをいつまでも過信すると、その人に依存したビジネスになってしまうと思っています。そしてきっとそういう人は「自分にしかできない」と思っているはず。それは選ばれる理由だけれど、引き継ぎに困るでしょう。一代で終わるビジネスならいいですがその魅力を感じてくれる方、会社を継続してほしいと思っている方には残念な話です。
だからこそ大事なのは「チーム」ではないかと。2名以上のチームで行うことで、チェック体制や有給消化や働き方改善に寄与するはず。お互いの労をねぎらえるはず。もちろん退職リスクを軽減したり、社長や上司にストレスを与えないというメリットも。私は今の会社で、初めて同じ仕事をする仲間がいるという状況に恵まれ、それを痛感しています。
成果主義となると、人の時間に関与しない、話もしない、まして協力なんてしないというなんとも簡素な労働環境になります。8時間以上一緒にいるのにそれはいくらなんでもさびしいというか、それこそストレスになってしまいます。。。
ここ数日、ふっとくり返し考えていることを記録しておこうと思いました。「これは、そんなにギスギスと、自分のストレスになるように考え続けなくても、頑張らない部分が合ってもいいんじゃないかな」と。
ストレスにしないで、少しふわっと考えることもしながら、自分ってどうあるべきだろう?という思いはずっと持ち続けるんだろうな。